今でも、この町のならず者たちは、大量に免罪符を買っている。
腕についた血をそれでぬぐえると考えているのだ。
司教は大量に免罪符を頒布するときは割引を実施している。バカな。しかし、本当のことだ。
免罪符のおかげで、救いは日常化した。さらには奇跡も。
罪深きがゆえに立たなくなった足が、免罪符を毎日貼っていたら治ったとか、見えなかった目が見えるようになったとか。そういう話はありきたりになっている。そして、それらのほとんどは事実なのだ。
司教は今や、儀式を司るのではなく神を司る。
長年にわたって行われていた神学は、神の本質をとらえ、それを効果的に活用する方法を体系化した。
神はもはや機械仕掛けだ。都合よく動いていただける。
しかし、こうなってしまった今でも、我々は信心深いと言えるのだろうか。